函館市の位置

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前々回のブログで「日本海と太平洋の境目」についてお話ししました。

 

その時、下の画像で函館市の位置を確認しました。

 

 

それから日本海と太平洋の境目の北海道側が恵山岬であると紹介しました。下の図です。

 

 

その時の文章がこちら。

 

『亀田半島の東端に恵山岬(えさんみさき)という岬があります。現在は合併して函館市の一部ですが、かつては恵山町(えさんちょう)という町でした』

 

気になる方がいらっしゃるかもしれません。

 

「函館市って広くない?」

 

 

今日はそんなお話。

 

今回はさっさと結論を言いますが、下の図です。

 

Map-It マップイット(c)

 

広いですね。確かに最初の図の矢印の先も、次の図の恵山岬も函館市の一部であることはおわかりいただけたと思います。

しかし昔の函館はもっと小さかったのです。下の図をご覧ください。

Map-It マップイット(c)

 

函館市は元々、この青い丸の中くらいでした。函館山とそのふもとに広がる砂州に函館港を中心として市街地が形成されていたのです。

そして函館市の北に隣接するかたちで亀田市という市があったんです。2020年6月11日配信の北海道ファンマガジンの記事(https://hokkaidofan.com/city_kameda/)道内唯一!わずか2年で消滅した「亀田市」が函館市の隣にあった!│北海道ファンマガジン (hokkaidofan.com)によると、下の図の赤で囲まれた部分が亀田市だということです。

それよりも南側の部分が旧函館市ということになります。

この図はとても興味深く、ぜひ皆さんに見てもらいたくて、「北海道ファンマガジン」様に問い合わせて画像使用の許可をいただきました。また、地図素材サイトの「マップ・イット(Map-It)」様にも地図を使わせていただきました。この場をお借りして改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 

もう一度、その画像を見て下さい。旧亀田市の南側に五稜郭が見えますか?

 

ここです。

これを見ると、五稜郭が旧函館市の辺境であり、函館を守る城であることが明確にわかると思います。

現在の五稜郭とその周辺を知る者にとって、こんな町の中心部に城を作って意味あるの?なんて思った人もいるかもしれません。しかし、当時はこの五稜郭周辺は函館市の端でその奥にある中心部を守っていたのですね。

 

話を元に戻します。1973年に函館市は、この亀田市を編入合併し、さらに2004年に戸井町(といちょう)、恵山町(えさんちょう)、椴法華村(とどほっけむら)、南茅部町(みなみかやべちょう)を編入合併することでもっと広くなります。この4町村のおおよその位置は下の図です。

Map-It マップイット(c)

 

こうして少しずつ大きくなって今の函館市になったのです。

「函館市史」と函館市のホームページによると、函館は市制施行時約19㎢でしたが、現在は約677㎢まで拡大しています。なんと35倍以上です。しかし、上には上があるもので、日本で一番大きい市である岐阜県高山市は市制施行時(昭和11年)約42㎢で、現在は約2177㎢で約50倍です。

東京都の面積が約2194㎢と言われているので、ほぼ同じくらいの大きさです。「市」なのに!

ちなみにですが、東京都は日本の都道府県の中で3番目に小さいです。それより小さいのが、大阪府(約1905㎢)と香川県(約1877㎢)ですので、高山市より小さいのです。

 

こうして簡単に函館の歴史を振り返りながら、広くなってきた函館を見てきました。函館の旧市街地は三方を海に囲まれていたので、人口増加に伴って市街地が拡大する方向は北の方だけでした。その過程で先ほど紹介した亀田市が発展し、函館市に編入され、さらに周辺4町村も編入していった結果、「函館市って広くない?」ってことになったわけです。

まぁ、本当は細かいことを言うと亀田市の前に湯川町や銭亀沢村の合併などもあるのですけど、それはまた今度。